万博資料館
“世界の万博”の歴史と発表された技術
万博について興味がわいてきたぞ!
そういえば博士が「万博は170年前にはじまった」って言っていたな。
これまでの万博はどんな国や地域で開催されてきたんだろう?
やぁ!まなぶ君
万博の事が少しずつわかってきたかな?
よし、今日は世界の万博の歴史についてまなんでみよう!
世界最初の万博は
170年以上前のロンドン万博
世界で最初に万国博覧会(万博)が開かれたのは、いまから170年以上前の1851年のこと。大英帝国といわれていたイギリスのロンドンという都市で開かれたよ。
水晶宮といわれた会場は、鉄筋の素材に30万枚のガラスを埋め込み、当時のイギリスで最新の技術を使って建てられたんだ。
当時、イギリスは世界でいちばん技術が進んだ国で「世界の工場」ともいわれていたんだ。だから、世界中からたくさんの人が集まる万博は、イギリスにとっては、自分の国のすぐれた技術や経済力を外国の人たちに見せるチャンスだと考えられていたんだよ。
このころのヨーロッパでは、印刷をする技術が進んでいたため、新聞を通じてロンドンで開かれる万博のニュースが各国に伝わり、アメリカやフランスからも蒸気船や鉄道に乗ってロンドンに向かうことができたんだよ。だから、ロンドン万博には世界の34カ国から604万人が集まったんだ。
世界最初の万博はイギリスのロンドンで開かれたんだ!
イギリスの人たちは、世界に自分たちの国の技術をアピールできるチャンスだと考えていたんじゃ。
渋沢栄一も参加した
1867年の第2回パリ万博
日本が初めて万博に参加したのは、1867年にフランスで開かれたパリ万博。このときには、1851年のロンドン万博を上回る906万人が集まったんだ。
暮らしのなかに「電力」が広がり、パリ万博では発電機やエレベーターの原型も展示されたんだ。来場者は屋上からの景色を楽しむことができたそうだよ。
それまでの日本には外国との交流はほとんどなかったんだけど、1853年にアメリカの軍艦が日本にやってきたことをきっかけに、アメリカやイギリス、フランスなどとの交流が始まり、外国の技術や文化をどんどん取り入れるようになったよ。
新一万円札の「顔」になった渋沢栄一氏
日本では2024年7月から一万円札の顔が渋沢栄一に変わったことは知っているかな?
渋沢は明治時代に、日本でたくさんの銀行やメーカー、貿易会社をつくり、「近代日本経済の父」といわれて日本の発展に貢献したすごい人なんだ。
実は、この渋沢もパリ万博を訪れ、ヨーロッパやアメリカの技術、文化に触れ、多くのことをまなぶことができたんだよ。日本に帰国した後でパリ万博のことを振り返った渋沢は、「パリ万博でとても多くのことをまなび、帰国した後で日本の発展に生かすことができた」と語っていたそうだよ。
外国の技術や文化を学び、日本の発展のヒントにしたんじゃな。
万博がきっかけに建設されたもの
世界中の人たちが自分の国に来てくれる目玉にしようと、万博にあわせてつくられた建物や記念の像もいろいろあるよ。
1878年の第3回パリ万博では、アメリカの自由のシンボルとなっている「自由の女神」像の一部が展示されたよ。その後、アメリカ独立100周年を記念して1886年にフランスからアメリカに寄贈されたんだ。
1889年の第4回パリ万博ではフランス革命100周年を記念してエッフェル塔を建設し、万博の目玉として大きな注目を集めたんだ。
どれもその国を象徴する有名なものじゃな!
万博はその後も、ウィーン(オーストリア)やミラノ(イタリア)、シカゴ(アメリカ)などの都市で開かれたよ。日本は日本の文化や日本人の暮らしを紹介するだけでなく、すぐれた技術を外国からまなび、日本の発展に生かし続けていったんだ。
万博では、今では当たり前にある身近な「技術」も発表されていたんじゃ。
次は万博で発表された「技術」についてまなんでいくぞ!
1855年 パリ万博で
発表された技術「ミシン」
のちに世界最大のミシンメーカーに成長するアメリカのシンガー社が足で踏んで動かすミシンを発表したのは、第1回のパリ万博(1855年)だったんだ。このパリ万博では、フランスのルイ・ヴィトンやエルメスが旅行用トランクを展示したよ。いまも世界中で人気があるトップブランドになっているね。
1862年 第2回ロンドン万博で
発表された技術「洗濯機」
1862年の第2回ロンドン万博では、イギリスの会社が洗濯機を発表したんだ。
木箱に服と水を入れてハンドルでぐるぐる回し、脱水機で脱水やしわを伸ばす今の洗濯機の仕組みと同じような技術が発表されていたんだ。
技術が進化する事で暮らしや家事が楽になる事も増えてきたよね。
1867年 第2回パリ万博
「エレベーター」
日本が初めて参加した1867年のパリ万博では、エレベーターが観客をメイン会場の屋上まで運んだことが話題になったよ。
エレベーターって
150年以上前に発明されてたんだね!
当時のエレベーターは今のように電気で動くのではなく、水圧の力を使って動く仕組みになっておったぞ。
1889年 第4回パリ万博で
発表された技術「蓄音機」
「発明王」として知られるトーマス・エディソンが発明した蓄音機が1889年パリ万博で発表されたよ。
拡声器に向かって話すと、声が振動板に伝わり、かすかな板の揺れが真鍮製のシリンダーまで届くんだ。シリンダーの表面には、錫がアルミ箔のように薄く巻かれていて、揺れた動きを針で刻んで記録していく仕組みになっているよ。これが録音や録画ができるテープの原型になった技術なんだ。
この時に発表された蓄音機が、今の音楽やテレビの発展につながっていくんじゃな。
1900年 第5回パリ万博
「レントゲン」
1900年の第5回パリ万博では、現在も医療に役立っているレントゲン装置が初めて展示されたんだ。その5年前に、ドイツの物理学者レントゲンがX線を発見し、体の中を撮影ができるようになった直後のことだったんだよ。
レントゲン技術はいまも病気の早期発見や治療に使われ、多くの人たちのいのちを救っている重要な技術なんじゃよ。
1967年 モントリオール万国博覧会
「人工衛星」
1960年代、世界中の人たちが「宇宙」に夢中になったんだ。
1967年のモントリオール(カナダ)で開かれた万博では人工衛星の模型が注目されたよ。当時、アメリカとソ連(今のロシア)の2つの国が、月に人間を送ることを夢見て宇宙科学の発展競争を繰り広げていて、みんなが大きな期待をしていたんだ。
実際にモントリオール万国博覧会の2年後、アメリカのアポロ11号が月面着陸に成功しているよ。
アポロ11号の月面着陸は、テレビの前で多くの人がその様子を見守っていたぞ。まさに人類史上、最も重要な瞬間の一つと言えるじゃろう。
アポロが月に行ったことで宇宙への期待が大きく膨らんだんだね。
望遠鏡や顕微鏡が世界中に広がったのも万博がきっかけだったんだ。ヨーロッパやアメリカのメーカーが次々と改良を重ね、遠くの星や天体をより詳細に見ることができるようになったんだ。
21世紀になると、万博の意味合いも少し変わってきて、「新しい技術を発表」するだけでなく、みんなが住む「地球」のことも考えるようになっていったんじゃ。
よし、次は日本が初めて参加した1970年大阪万博を中心に歴史と技術をまなんでみよう!
みんなならどんな「未来をデザイン」するだろう。
みんなの描いたデザインが
未来の私たちの暮らしを作っていくんだ。
君もデザインしてみよう!